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日々の暮らしや生活に疲れたら、多肉植物の強さと穏やかさに力をもらおう

こちらの記事は以前、webサイト連載時に特集として書いたものです。
’介護’という視点から多肉植物と自身との関わりを記したものですが、「介護」という状況でなくても、「日々忙しくて大変」「持病があってつらい」「なんかうまくいかない」など、なかなか思うようにならない日々をお過ごしの方には特に共通する部分が多くあると思いますので、長くなりますがゆるりと眺めてみてくださいね。

多肉植物と癒しTOP
目次

介護暮らし×多肉植物

今回はテーマをいただいたので『多肉植物と介護生活』という、一見ふしぎな取り合わせでお送りしたいと思います。
個人的な経験談にはなりますが、現在介護をされている方も、されていない方も、ちょっとした息抜きや何かの一助となれば幸いです。

多肉植物のエケベリア

多肉植物との出会い

普段は多肉植物についての記事を書いておりますが、私自身も介護・介助の経験があります。
初めての介助は当時同居していた祖母の病でした。また祖父が心臓を患っていたり、その後大腿骨骨折などで行動が制限されてからは、祖母と同じく生活の手助けをすることもしばしばでした。

多肉植物を本格的に育て始めたのはその頃のことです。
以前から植物が好きで、自宅の庭を1人でちまちま掘り返して植木を移植したり、花壇や小径を作り季節の草花を植えるなど、あれこれ改造してはひとり喜んでおりました。が、なんせ毎日の水やりやお手入れが大変…!

手作りの庭
↑一度更地にして作り直したお庭。


一般的な草花は成長スピードや水切れなど変化が速く、日々手や目をかけていないとすぐに萎れたり伸びすぎたりして、庭は荒れてしまいます…
庭いじりは大好きな作業でしたが、忙しくなったりイレギュラーな対応が増えはじめるとなかなか手が回らないことも増え、やや息切れに似た感覚を持ち始めました。

一方で、育て始めた多肉植物は「こんなにかわいいのに、毎日水をやらなくてもいい…負担がない…ありがたい…」と、すごく気持ちが楽だった事を覚えています。’力を抜いて焦らず付き合える素敵な植物’、そんなふうに感じていました。

セダム 乙女心

本格的な介護生活のはじまり

本格的な介護を行ったのは、父が若年性アルツハイマーだと分かってからのことです。はじめは「なんか怒りっぽくなってきた」という違和感からでした。

「性格だと思っていることのほとんどは、体の調子である」という著名な鍼灸師さんの言葉があるのですが、言い得て妙だなと実感をする日々が始まります。
(ですので、もしご家族や仲の良い方がやたらと怒りっぽい、逆に落ち込みやすい、不安がる、そんな状態になったときは、「年とって性格が変わってきた」などと思いこまず、まずは早めに病院で診てもらってほしいなと思います。)

月日が経つごとに、わが家の多肉植物はいろんな種類が増えていきました。なんせ世界で1万種以上あると言われているグループです。興味は尽きません。注文した種を蒔いて育てたり、自分で交配などをするようにもなりました。

多肉ベランダ
↑多肉植物が増えはじめたころ


多肉植物はそれぞれがとてもマイペースです。
その多くは1日2日では姿が変わりませんし(健康に育っていること前提で)、ひと月、ふた月…それでも変化がないように思えるものも多いです。

ゆっくりと、時にあっというまに変わっていってしまう父をそばで見守り手助けをする日々の中で、一見何も変わらないような顔でゆっくりゆっくり、マイペースに育つ多肉植物にはとても安心させられたことを覚えています。不安定な日々の荒波にもまれて宙に浮かんでしまったような自分の心と体を、再び地に戻してもらえるような感覚でした。
大変な環境にも順応し、それでいて何事もないような表情で強く生きる多肉植物は、介護の暮らしを送る私にとって、いつしかとても有難い存在になっていました。

多肉植物 クラッスラ ファンタジーなど

介護生活の難しさとそれに寄りそえる多肉植物のパワー

介護をしていると、とても難しい心境に陥ることがあります。
「愛憎」とはよく言ったものだと思うのですが、大事にしたい、出来うる限り良くしたいと思いながらも、どうしてもつらい。嫌になる。腹が立つ。悲しい。怖い。そういった気持ちへの罪悪感。
そんなちぐはぐで大きな感情が一度に押し寄せるような厳しい状況が少なからず生まれます。

また逆に、少しずつ澱のように静かに積もっていく不安や疲労もつきもので、自覚や対処がしにくい為気づけばかなり疲れをためてしまっていた覚えがあります。終始気が抜けない、心が休まらない。そんな状態にもなりやすいですよね。介護はなかなか目が離せません。
たとえ施設やサービスを利用していっとき物理的に目が離せたとしても、心の目までは離せない、ひどいと離してはいけないとすら思ってしまう。この感覚がとてもつらく、難しいものだと実感しています。
誰に助けを求めても結局物事を動かすのは傍にいる自分だと否応なく感じているし、「周囲の意見」と「自分の考え・気持ち」とのズレや、他人の些細な言葉などにも敏感になります。

アエオニウム 黒法師


その難しく大変な時期を、多肉植物と過ごす事で私は少しの時間だけでも「無」になることができたと感じています。
交配して種を蒔いた植物がどんな姿になるのか。それを見たいというだけの希望。
乾いた用土に水をやり、枯れた葉を無心で取り除く。そんな単純作業が、今思えば知らず知らず、自分自身の心にも水を注いでくれていたような気がします。

多肉植物の葉挿し(多肉植物と介護生活)


落っこちた小さな葉や切りとられた茎からもまた根を出し、生き直すことができる生命力の強さにも力をもらっていました。彼らは基本的に強く、簡単にはダメになりません。

また陽の光が沢山必要な多肉植物を育てるということは、それを育てる自分自身もたくさん陽を浴びることに繋がります。
人の心と体にとって外の風や日光は、植物が生きるためにそれらを使うことと同じくらい必要なものだと思います。それを自然と取り入れる事ができるのが、多肉植物栽培の素晴らしい点のひとつではないかと感じています。

◎介護の暮らしで大切なこと

「介護」とひとことで言っても、その内情はそれぞれのご家庭により様々です。たとえ同じ病や怪我の介護だとしても、状況は違っていてそれぞれにストーリーがあります。
ただ、その中で共通していることの一つは「介護者が孤独に陥りやすい」という点です。

「自分がやるしかない」「誰に話しても解決しない」「言ったところで分かってもらえない」「悪口を言うようで気が咎める」「暗い話や同じ話ばかりで迷惑がられてしまうのがつらい」「何年も続いている事だから今さら…」
こうした色々な考えから、問題や感情を独りで抱え込むようになってしまいがちだと感じます。

サボテン


でもそれはやはり、よくない状況です。
たとえ悩みや問題がすぐさま解決しなくても、「誰かに状況を知ってもらっている」「気持ちを素直に出せる場所がある」「少し勇気をだせばいつでも相談できる関係がある」。こういった繋がりがあることはとても大切なことだと、介護を終えた今強く実感するところです。

私の場合は多肉植物を通して、ネット上から実際のお付き合いまで長年沢山の方々に良くしていただき、都度楽しみやパワーをもらってきました。
特に介護においては、つらいとき、漏れ出た気持ちを掬ってもらえたり、言葉はなくとも暖かく見守ってもらえたりしてきたことが大きな心の助けになったと、有り難く振り返ります。

「介護」とは全く違った場所で、遠いからこそ話せる事もある。
それがどんな場所でもいいので、ぜひ誰かや何かと関わることを諦めず、無駄だと思わず、遠慮しすぎず、細くてもいいから色んなものと繋がっていてほしいなと思います。
それはいつか介護が終わってひととき抜け殻のようになる時期が来た時も、そこから脱していく時も、「あの時を知ってもらえている」というのはそれだけで、また自分を地に繋ぎ止め根を張らせてくれる大事な繋がりになると思うからです。

手をつなぐ


長い文章になってしまいましたが、読んでくださり有難うございます。

最後に

いま介護をされている方も、もしかするとこれから経験される方も、その時はどうか無理せず「’ご自身が’まずは少しでも元気でいられるよう」取り組まれてくださいね。

「片時も忘れない事=大事にする/愛する事」ではないと思っています。時に全てを忘れて自分の時間に集中して生きることも、自分と相手にとっての誠実さのひとつであり、介護とうまく付き合う秘訣かと思います。人生は介護が終わっても続きますから。

またその際、多肉植物は静かな(時に雄弁な)良き相棒となってくれます。
彼らは「慌てなくていいこと、急いで変わらなくていいこと、しかし変わらないものも無いということ、いろんな姿があっていいこと、折れたって大丈夫だということ、しっかりと太陽や風に当たること、たまには心にたっぷり水をやること」、色んな大切なことを伝えてくれますよ。
どうか楽しむことを諦めず、勿論後ろめたくなども思わず、ご自身を大事にお過ごしください。

今回は介護者としての目線でお話しましたが、介護される方にとっても植物を見る/触れることは心身に沢山の良い影響があるものだと思います。そんなお話もまたいつかできたらいいなと思います。

みなさまが少しでも穏やかな時間を過ごせますように。



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